技術的説明 2019 5 4

2019年5月3日の時事通信社には、このようなニュースがありました。

【ワシントン時事】バイデン氏は5月1日の演説で、
中国について、「彼らは国内の腐敗にどう対処すべきかさえ答えを出していない。
悪い人々ではない。競争相手ではない」と指摘した。
「われわれを打ち負かすかって?おい、うそだろ」などと語っていた。
(引用、以上)
 これに対して、トランプ大統領は、
「とても間抜けだ」と批判したという。
 中国脅威論の技術的説明は、難しいと思います。
私は、昨年、中国の「この技術」が脅威であると何度説明しても、
一般の人には、全く理解されず、
「なんで、そんなに、あわてているのか?」という反応でした。
 だから、バイデン氏にも理解不能だと思います。
一方、トランプ氏も、科学技術には疎いと思いますが、
「野性の勘」というものが鋭くて、
いや失礼しました、直観力が鋭いのです。
 私は、昔のことを思い出します。
それは、量子論に出会った時のことです。
 感動のあまり、多くの人に伝えましたが、
誰も理解してくれませんでした。
「物質は、粒子であり、波でもある」
私にとっては、これで頭の中の「もやもや」が一気に解決したのです。
 さて、技術論は抜きにして、
政治的に中国脅威論を語れば、どうなるか。
 日本企業は、自社工場を持ち、
企画、設計、生産まで手掛けています。
 これを外国人投資家は、
「利益率が低い。生産性が低い」と批判する場合があります。
 一方、アメリカ企業で成功している企業の多くは、
自社工場を持たず、企画と設計に専念して、
生産は外部委託しています。
 ところで、生産委託している工場は、
どこの国の工場でしょうか。
 もし、東アジアで緊張が高まれば、
その工場は、どうなるのでしょうか。

月は存在するか 2018 12 9

 量子論の言い分が正しいのであれば、
月は、我々が「見た」から、そこにあり、
我々が見ていないときは、そこにはいないことになる。
(アインシュタイン)

書名 「量子論」を楽しむ本
監修 佐藤 勝彦  PHP文庫

 私は、何度か書いていますが、
目の前にリンゴがあったとします。
「このリンゴは、確率的に存在している」と書いたら、変でしょうか。
 アインシュタインは、
「物理学に確率を持ち込むとは、けしからん」と怒っていたと、
本で読んだことがあります。
 確かに、リンゴのような巨大な物質では、
量子力学的な影響は少なく、
リンゴは、厳然として存在します。
 しかし、電子ような微粒子(素粒子)の世界では、
確率論を持ち込んでも問題はないと思います。
 高校の物理学や化学の教科書では、
水素原子は、中心に陽子が一つあって、その周りに、電子がある。
これは、太陽と地球のように、太陽系の軌道のイメージだったと思います。
 しかし、現実には、電子は、
電子軌道上に確率的に存在していると言ってよいかもしれません。
 別の言い方をすれば、観測していないときは、
電子は、「電子雲」のような状態であり、
観測すると、「粒子」のような存在になる。
つまり、電子は、「粒子」であり、「波」でもあるのです。
 ここでいう「波」とは、海水浴場の「波」ではなく、
「エネルギー」のようなものです。
もちろん、性質としては、波の性質を持っています。
 なんだか、電子の存在が怪しいものになりましたが、
微粒子(素粒子)の世界では、このような怪現象が起こるのです。
 さすがに、リンゴのような巨大な物質では、怪現象は起こりません。
ましてや「月」のような「衛星」では起こり得ません。
 アインシュタインは、「量子論」を嫌っていたそうです。
だからこそ、月の存在という「極論」が出てきてしまったのです。
 ついでに、「月」が出たところで、英語の雑学を書きます。
英語で、「月に約束する」とは、「かなわぬ約束をする」という意味です。
同じく、「月が欲しい」とは、「ないものねだり」の意味です。
 政治家は、国民に対して、「月に約束する」ようなものであり、
国民は、政府に対して、「月が欲しい」と言っています。
こうなると、政治学的に「月」が存在するか怪しいものです。
 量子論の言い分が正しいのであれば、
月は、我々が「見た」から、そこにあり、
我々が見ていないときは、そこにないことになる。
(アインシュタイン)












































































































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